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真夜中、寝台の上で身を起こしたハヤテは溜息をついた。
血生臭い夢。
いつからか慣れてしまったつもりだったが、それでも応えるのは最近その頻度が高くなったからだろう。
理由は、やはりつい最近特別上忍に昇進したから、なんて至極簡単なもので。
・・・疲れているんだ、と思う。身体だけでなく 精神も。

もう一度息をついて、腰を浮かせる。月の出ていない夜の前にこの部屋はまさに真っ暗なのだがそれは問題でなく
まっすぐ数歩、部屋の端まで歩いて棚から小瓶を取り出し 中の小さな錠剤を一粒飲み込む。
ハヤテが薬の持つ依存性や耐性を差し引いても睡眠時間の確保を選んだのはもうずいぶんと前だ。
踵を返した目の前にはやはり、変わらず闇が身を横たえていた。

 

 

 

・・・柔らかな風が頬に吹き付けて、ハヤテは目を開けた。

すこし遠くに 白いベンチが在った。そしてそこに腰掛けた男の背が見えた。

枯れ葉の感触を足の裏に感じながら、ゆっくりと歩み寄る

すると、男は気配に気付いたのか 身を捩ってこちらに目を向けた

視界の先にハヤテを捉えてー…驚いたような顔をして。

すぐに、嬉しそうにわらった。

「 よぉ、ハヤテ 」

笑顔のままで、その見知らぬ男は。

色素のうすい髪を風に揺らしながら、そう 言った。

 

 

 


「最近顔色がいいな。よく眠れてるのか?」

報告書を提出に行ったとき、受付を担当する中忍にそう声を掛けられた。

彼、うみのイルカは元ハヤテの同僚で、ハヤテが特上に昇進した今でも何かと気を遣ってくれる。
今回のイルカの台詞も本当に彼らしい、とハヤテは内心苦笑した。
イルカにとって ハヤテはいつまでたってもどこか頼りない後輩のようで、ハヤテはそれを面映ゆく思いつつも温かい気持ちになる。

「ええ。ここ二週間ほどですかね…。自覚したのはつい先日なんですが」

そろそろ睡眠薬を貰いに行かなければいけない時期だな、と小瓶を確かめたところまだ半分以上残っていることに気付いたのだった。

「安心したよ」

そう言って笑ったイルカの表情は、僅かだがハヤテに別の人物を連想させた。

 

 

 


「こんにちは。」

今日の場面はアカデミーのテラスだった。
そこで彼はいつも通りに待っていた。

「よっ」

手すりに身を預けた体勢のままそう言ってこちらに来るよう手をこまねく。
ハヤテは歩いていって、彼の横に並んだ。

「今日はどうだった?」
「事務処理がほとんどでしたが…あ、イルカさんと話しましたよ」
「へえ?あいつ、なんて?」
「『顔色がよくなった』と」

緩やかに、会話は進んでいく。
古くからの友人同士のように、たまに訪れる沈黙にも気まずさを感じることはなかった。
日当たりのいいこの場所は、しかし自分たち以外に人影は無く、ここが夢の中だということを改めて感じさせる。

不思議なことに、初めてハヤテが例の夢を見てからずっと、『彼』は夢の中に現れ続けていた。
そして毎夜会っていろいろな話をするうちに この千本を銜え、上機嫌にゆらゆらと揺らす男は忍であるらしいことがわかった。
らしい、というのは彼が忍服を着ておらず、自分が忍者であると明言しないからだ。

彼は、当たり前のようにハヤテの名を呼んだ。会ったことのないはずの彼がその名を知っているというのもおかしな話だが、そんな矛盾も夢にはありがちなことだろう。
しかし親しげに話しかける彼にハヤテは少しの罪悪感を覚えた。
『ハヤテ』
そう呼ばれる度に、思うことがある。

私は彼の名前を知らない。

けれど、そんな思いはいつも飲み込んだ。
夢の住人に名があるはずはない。事実彼は一度も名乗らないし、聞くだけ無駄だ、と考えたからでもある。
そして、ハヤテは聞いた後のことも杞憂したのだ。

彼が答えられなくて、それならばどうなる?

なぜだかハヤテは、不安になった。

言葉に詰まった彼は…そのままいなくなってしまうのではないか。

もう私の夢には出てきてくれなくなるのではないか。

芽生えた不安は深層に、しかし確かに、淀んでいた。

 

 

 

 

その日見た夢は、微妙に普段と違っていた。

まず、彼の姿が見当たらなかった。
そして、いつもなら居ないはずの大勢の里人がひしめいていた。
賑やかに、活気の溢れる里。

「どこです…?」

ハヤテは探した。
いつものように無人なら楽なのに、とハヤテは思った。
人の波逆らい、道を抜けてゆく。
何度か、彼に似た金髪を見つけそのたびに足を止める。しかしすぐに人違いだとわかり眉を顰めた。

思わず口を開く。
「・・・っ・・・」
しかし名前を呼びたくとも、ハヤテはその名を知らない。

焦りが、見え始める。
大通りを抜け人もまばらになり いつしか駆けだしていた。
里中 を駆け回った。
アカデミー周辺、桔梗城前、繁華街・・・

そして、木の葉病院の前に差し掛かったとき やっと

 

彼が、見つかった。

 

「ハヤテ?どうしたんだよ」

困った顔で、彼は言った。
そんな表情も、いつもと違った。
やっと見つけたのに、…不安は募っていく

「自信ないから会いたくなかったのにな…」

「なんの、です?」

思わず、出た言葉。声が震えた。

 

次の瞬間、ハヤテは抱きしめられていた。

「好きだ、ハヤテ」

強く抱く力に反して、その声は密やかだった。

彼の絞り出したような声が…ハヤテの鼓膜をふるわせた。

 

しばらくして 彼はその腕を離した。

そして数歩離れて、ハヤテを見て笑った。

「じゃあな」

今度は、前みたいな、普段通りの笑顔。

けれど、まったく異質の、言葉。

わかがわからなくて、でも彼が自分の前からいなくなってしまうということだけはひしひしと感じて

彼に近づこうとしても…からだが、動かない

そうしているうちにも彼の存在はどんどん薄くなっていった

空気に溶けていく。でもその眼はやさしかった。

 

苦しい。こんな痛みは知らない。   心が…締めつけられるようだ

 

「あなたは…っっ」

あなたは誰だったんですか。ただの私の夢の産物ですか?

それとも…

 

彼は、それを聞いて初めて、泣き笑いのような顔をした。

希薄になりながら。彼は言葉を紡ぐ

 

「 ゲンマだ。…不知火、ゲンマだよ 」

 

 

そこでハヤテの意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

「……はぁっ。は…っ」

ハヤテは飛び起きた。

息の上がった呼吸を整えながら、たった今見た夢の内容を反芻する

整頓の付かない頭。それをむりやり繋げ…

 

「…不知火、ゲンマ」

それはたしか…自分と同じ特別上忍の名ではなかったか。
同じ役職だというのに会ったことのない先輩。
自分が昇進したときその人は長期任務に入っているのだと聞いた。
『満月の頃にはあえるだろうよ』
そう その場にいた他の同僚が言った。

今日は新月。満月の夜は…とっくに過ぎている

 

いやな予感がした。すぐにハヤテは着替え、家を後にした。
足下を照らす月はなく、しかしいつかもそうであったようにそんなことは問題ではない。

ハヤテはアカデミーの受付に駆け込んだ。
そこには遅くまで勤務しているイルカの姿があった。
イルカは突然現れたハヤテの姿に驚く。

「どうしたっ?血相変えて」

受付をしている彼に聞けばわかるだろう。

 

「不知火上忍のことなんですが…」

そう言うと、イルカの顔にすこし暗い影がおちる。
自分の想像に違わない反応で、ハヤテは疾く心を押さえつけた。
次の言葉を、待つ

「ああ…」

 

『キョウガ  トウゲダソウダヨ』

 

 

喉がひきつった。

ハヤテの頭が…真っ白になる。

 

「…、…せない」

「え?」

イルカがハヤテの顔を見ようとしたとき、既にそこにハヤテは居なかった。

 

 

 

 

 

「不知火上忍の容態は!」

「月光上忍」

病院に突如現れたハヤテの意外な言葉に、病室から出てきた医師は目を見張る。
けれどすぐに安心させるような顔つきになった。

「…たったいま、安静しました。もう大丈夫です」

 

「…よかった…」

身体から力が抜けていく。このまま座り込んでしまいそうだ、とハヤテは思った。

「月光上忍こそ常より体調が悪そうですよ、休まれては」

顔見知りのその医師は、気遣うように言う。

「大丈夫ですよ…。あの、病室に入っても?」

 

 

 

 

淡い灯りが付けられた部屋に彼はいた。
寝息を立てている顔は夢の中の彼に間違いなくて、しかし無精髭の生えた顔に、思わず笑ってしまう。

周りには仰々しい大型器具が並んでいて、いかに今まで深刻な状況だったのかがわかった。
ハヤテはゲンマの顔に掛かった前髪を払ってやり、そっと、髪を撫でる。

そして ちいさく、…呟いた

 

「言い逃げなんて ゆるしません、よ」

 

部屋に響く呼吸音と、確かなゲンマの心拍音。

それを噛みしめながら、ハヤテは目の前の彼が目を覚ますまで

 

ずっと、髪を撫で続けていたー…。

 

 

 

 

 

*****

05/12/5

お題「目的地」
夢の話を書くのは好きです。
話がハヤテさん中心だったので書けなかったのですが
ゲンマさんはハヤテが中忍になった辺りから気になっていたんだけど会わないままに長期任務で負傷、重体。

言いたいのは結局、ハヤテさんの目的地はゲンマさんの傍でした。っていう…。