今日の任務の書類を書き終え、やっと俺はアカデミーを出た。
ぽかりと浮かぶ空の月。
爪の先で削ったように、少しだけそれは歪んでいる。
ああ、明日か明後日は満月だな、と何と無しに思っていたら、誰かが自分の脇をすりぬけた。
見知った顔だと認識したから、俺は呼び止める

「これから飲みにいかねえか」

振り向いたハヤテは、ごほり、と肩で咳をして、良いですよ と答えた。

 

割とよく来る馴染みの飲み屋。
それぞれの座敷部屋がちょっとした個室になっていて、静かなこの店をハヤテは好む。
開け放たれた窓からは高く昇った月明かりが差し込み、薄明るく部屋を照らした。

それなりに酒を煽りながら、俺たちは話をした。
主にしゃべるのは俺だが、ハヤテも相づちをうちながら時折口を開く。
今日はいつもより酔っているらしい、常より口数が多めで、普段は青白い顔が心なしか色づいている。
そうしているうちに、話題は下世話な方向に向いた。

「お前、好きな女とかいるわけ?」

「…いませんね。残念ながら」
苦笑して言う。また少し酒を口にした。

「そういう貴方こそ、恋多き方でしょう。風の噂ですが」
俺はその問いには答えず、不自然でない程度に会話を逸らせる

「いや、お前は恋愛に興味があんのかなーと思って」
浮いた噂一つ無い後輩へのからかい。
別にそれ以外に意図は無くて、でも予想外にハヤテは憤怒するわけでなく呆れるわけでなく。

盃に視線を落とす。そしてゆっくり言葉を紡ぐ。

「怖いんです。」

静けさが急に際だったように思えた

「もし、好きになってしまったら…それを認めてしまったら。私はきっと私でいられない。
相手に 依存して。置いていかれた時のことや、置いていった時のことを延々考えるでしょう。」
「不安に、喰われてしまう。だから・・・」

怖いんです、ともう一度 ちいさくお前は言った。

 

…なんだよ、それは

「それで誰とも一緒にならないで、一人で生きてくっていうのか?お前は」

「・・・はい」

その答えに俺は苛ついて、何故だか、ほんとうに何故だか思いきり抱きしめて怒鳴ってやりたい衝動に駆られたが 無視して

「・・・お前は臆病者だ」

吐き捨てるように憎まれ口を開けば。お前は

 

「・・・そうですね。 」

お前はわらって。穏やかな瞳で俺を見た。目を眩しげに細めて

 

また、わらった。

また…ほんの少しだけ、 かなしそうに。

 

 

 

 

 

思えば。

俺もまた臆病者だったのだ。

・・・そして今も。

 

ただ少しだけ仲が良くて、酒を二人きりで飲み交わす程度には俺たちは気が知れていて、
でも肝心かなめの部分だけは、お互い晒さず。晒さずにおわった。
結局 関係は同僚知人以上、親友未満。

(・・・泣くほどじゃない)

思ったとおり、涙は出なかったし、ぐっすり寝られた。
夢にだって出てこなかった。   でも

最後に飲みに行ったあの日。下らない恋愛観から発展したあの話。

見せた 笑顔が。瞳が。・・・かすかにふるえた、声が。

 

今でも、 ・・・  忘れられない

 

 

結局俺たちは 知人以上親友未満、つまり友人の関係で
死なれたって泣きわめきもしないし、墓にも行ったが 別段変わらず
安っぽい花をくれてやっただけ。言葉なんてかけなかったし。

でもただ一人の ひとつひとつの動作を覚えてるなんてのは、どう考えてもおかしくて、
こんなにどこかからっぽなのは捕らえられたのがこころだからで、加えてそれはもう二度と戻ってこないと知っていて
それでも俺は答えを追求しない

俺もまた臆病だからだ

 

 

 

「さて、と」

そろそろ待機室に戻ろうと腰を上げる  答えを導き出す前に。

 

 

(・・・俺だって)

 

 

不安に喰われたくなんて無い。

 

 

 

 

 

 

***

05/9/19

お題「とらわれたこころ」
形になる前に持っていっていかれたゲンマさん。