「おにさんこちら!」の赤井さとり様より頂きました!


笑   と  ろ 


 ひとときまた子に夢をみていたことがある。
 自分は純粋に総督として尊敬されていてまた子は糞袋ではなくて中身はされこうべではなくて脚のつけねにはなにもなくてたとい口を吸ってもそこにはいわゆる性欲はないのだ。という詮無い夢。
 いまはそんなことを考えた過去の自分が不思議で仕方がない。どうして、隣にある、圧倒的になまなましい質量のある肉を、そんなふうに思えたのだろう。
「また子」
 着物のめくれた裾にじゃれついてたのしげだったまた子は跳ね起きて「はい」返事をした。
 すらりと伸びた手足とおさない動作との落差がひどい。
「あんまりくっつくな」
「あ、はい。お嫌でしたか」
 また子にけっしてかからないようにけぶりを吐く。華奢な煙管がお似合いですよと言われたから吸っているようなもので、ほんとうはにおいも味もべつにすきではない。
「いや。今夜会う野郎が非常な女好きでな。においがつくとまずい」
「はあ。女好きな、犬かなにかっスか」
「そんなものだ」
 嗅覚がすぐれているのにはまちがいないのであいまいにこたえ、ききっ、と笑った。
「女がすきだが、女などというものはてめえの精液を溜める袋くらいにしか思ってねえ男だ。気をつけろ」
 気をつけます! とでもかえってくるかと思ったのに、
「けれど本来そんなものでしょう」はきはきとまた子はこたえた。
 正直、おどろいた。ぎりぎりのところで、こわい、とまでは感じなかった。
「そんなことは、ないはずだ」
 すくなくともおまえが違うだろうと言えない。そんな用途のためについている口ではない。
「晋助さまがそうおっしゃるなら、ちがうっス」
 ばかなのでまた子はひとの言うことをすぐ信じる。
 世の中にただひとりのことばだけを信じているのだと本人は言い張るが、その実たれにでも簡単にだまされる。頭の悪いのはいまさら仕方がないので叱らない。
 それでまた子は、すこし、いい気になっている。
 ばかのくせに得意になっているのがあわれで、かわいく、言いつけをきかずに胸に頭をすりつけてくるのをそのままにした。
 生意気に女のにおいがする。
 むしあつい国に咲く花のような、いやらしいほど甘い酸味の弱い果物の汁のような、扇情的な、鬱々とした、においである。





「いや、悪ぃ。地球も久しぶりやき迷った」
 底が抜けている、正気を疑う、あかるい、笑顔である。
「久しくなくても迷うだろう。おまえは」
「女の子のいる店なら迷わずにすむんじゃがのお。こがいな料亭なぞいっこもしらん」
 いつからかけているのかしらない色眼鏡が胡散臭い。すくなくとも地球にいたころはこんなではなかった。
「昔は迷うほど道がなかった気がするち」
 そういえばそうだ。あたりはただいちめんに、荒野であった。 血のにおいをたどればたれか仲間に会った。生きているか死んでいるかはその際問題でなかった。会った。
 むせかえるような死にごくちかい細胞の切れっ端のにおいの先で何度もこの男に行き会ったな。と思い出しながら首をかしいだ。
「武器がほしい。金はある」
「そがいなことか」
 かんたんに請け負ってふるい友はまた笑った。
「まっことおまんは、ひとをころすのが、好きじゃの」
 それは本人にとっては親しみを混ぜ込んだ冗談のつもりなのかもしれなかった。
 頭がいたくなるような胸がわるくなるようなひどい冗談がむかしのことを思い出させた。
 風がびょうびょうと血のにおいばかりを運んでくる、荒野のなかにいたころのことだ。





 かれは決して弱くなかった。伸びすぎたようなからだをそれでもうまく使ってくるくると立ち回って敵を斬った。
 たぶん仲間のうちではいちばん、正統の闘い方をしっていたのだろう。剣の扱いにはもとよりたけていたし兵法にもくわしかった。
 ただ、どれだけからだを動かしても頭をつかっても、敵が減るわけはなかった。むしろ増えていくばかりで、しまいには敵は敵とばかりは見えなくなり、もしかしたらあれは、あれもひとではなかろうかと皆が疑問をもつようになり、そんなときだ。
 たれか銃を手に入れた。
 たれであったか、もうわからない。自分だった気もする。
 剣は手に感触が残る。拳で殴るのとさほどかわらない痛みものこる。
 そのけがらわしい感じからのがれられるなら、と飛びついたものも多かったように思う。
 わけても疲弊していたひとりが無表情に一丁手に取り、なにを思っていたのかわからない顔のまま、二間ほど先にいた同志に銃口をむけた。
「おんしを撃ってもわしの手が汚れん、と、そういうわけか」
 あのときのつめたい感じはわすれられない。
 一瞬でつまさきがしびれるほど冷えた。
 ふるえる指をぎちぎちとにぎりしめて頬を殴った。
 背丈がかなり違うのにらくに届いたのはあるいは頬をさしだしたからかもしれない。抵抗はなくて、ただ肉がたしかに重く、熱かった。





 それからほどなくして戦は終わり生き残りの同志は霧散し、銃はほとんど解体されたり土に埋まって錆びたりしたが、一丁だけ旅をしている。
 それがあのとき同志に向けられたものかどうかはしらない。案外あっさり買い替えているような気もする。
「わしも商売をはじめたころは、まさかおまんが上客になろうとは思いもせんかったが」
 たぶん、なにか高潔な誓いでもたてていたのだろう。
 宇宙の平和のために立ち回るとか何とか。うわごとみたいな。
「おれが上客た、お前の商売もたかがしれてるな」
 あっはっは、という笑いが耳に障る。
「まァ、しかたがねえかもしれねえな。
 お前に限らず、世の中ってやつにはバカが多くてこまる。
 大事なモンが消えちまったからって、世界そのものを潰そうてえバカに、
 消えちまったモンの残り香を追っかけて似たような戦を続けようてえバカに、
 昔のことなんざわすれたみてえにあたらしい持ち物にかまけてるバカ。
 なあ坂本、おまえもバカだが、なんてえバカだ」
 水でもそうするように酒を飲んでいる。色眼鏡のせいでどんな目つきをしているのか見えない。
「わしゃあ、」
 口の端からひとすじ酒が垂れた。傍目よりずっと酔っているのだろう。
「世界のすべてがいとしくてたまらん」
 吐く息から熟柿のにおいがしている。
「しかし、いとしいかわいい、と思うてそこらを見渡したら、どうじゃ、憎しみに凝り固まって、みにくい。
 広い目で見れば世界は素晴らしいもんやき、わしゃあすきじゃ。しかし個人は阿呆にすぎる。耐えられん。ただしい形にもどしてやりたい」
 まずは利益と自由を追求させちゃろうと思おて材料を提供したらすぐさまあたらしい殺しあいをしちゅう。死ね。阿呆め。
 といって盃を置いた。育ちがいいと見えて音をたてなかった。
「武器がなけりゃあ、ひとは死なねえよ」
「ひとごろしが何を言うちょる」
「数ならお前が一番だろうが。どんなに戦争がうまい軍師より工場長が、工場長より商人が、殺すんだ」





 そのあとは口々に言い争って、気でもちがったみたいに攻撃的に笑っては盃をかさねた。
 本音を全部吐いたような気もするしそれでも遠慮した気もする。
 気がついたら法外に嫌そうな表情をつくった、かぼそいからだをぶあついコートに包んだ女がそこにいて、土佐の訛りでなにごとか罵声をあびせてきた。
「……何言ってんだか、わかんねえよ。田舎モンが」
 とはいえ正確な訳なんて欲しくはないから、かさねて、
「こら、バカ本ォ。女に迎えに来させるなんて、なってねえな」からんだ。
「ばか。陸奥は同志じゃ。女なわけがあるか」
 女はさらに嫌そうな顔をした。
「七十のババァは抱いてもこいつは無理、」
 もじゃもじゃの黒髪を掴まれて卓にたたきつけられている。
 酔っているから避けないのか、それとも首を差し出すようなこころもちでいるのか、想像もつかない。
 喉の奥からかすれた笑いがこみあげる。くずれそうに、酔っている。





 やわやわと腿を噛んだらまた子ははずかしそうに「酔ってるっスね」と言った。
「酔っているがそれが何だ。しらふでもおなじことをしてやる」
 うそだ。しらふでは、こんなにやさしくは、できない。下着のいやらしい染みをみつけてやりたくなる。
「帰ったぞ。また子」
「おかえりなさい」短い間に何度も繰り返させられた台詞をまた言って、また子はゆるい動作でからだをゆすった。
「お友達はどうだったっスか」
「あいかわらずだ」
「女好きでしたか」
「ああ」
 酒精のもたらす眠気に負けそうだ。閉じそうな目をあげると、こどもじみた、おおきい、澄んだ目と視線がかちあった。
「かわいい」指の腹でまぶたをなでられる。
「晋助さまは、すごくかわいい」
 また子のことばは呪文に似ている。ほんとうに無力な生き物になったこころもちがする。
 うすべにいろの唇がほころんでいる。
 ああ、この女もひとをころしたことがあったのだ、おれはそれを見ていた、いや、おれの指図でそうしたのだ、この女はおれのせいでひとをころしたのだ、
 そんなことをきゅうに思い出した。
 ひとごろしはまだ笑っている。死んだような、きよらな、笑みである。


「暗い話」なんていう身も蓋もないリクエストだったにも関らず、なんでしょうかこの迫力…!!
久しく離れていたノーマルカプに胸がぎゅんぎゅんしてしまいました。坂本さんも高杉さん男前や・・・また子ちゃんかわいいや・・・
深いな…底なし沼のように深く暗く妖しいけどもきれいですっああ言葉で表現しようと思った私が馬鹿でした

さとり様、本当にありがとうございました!大切にさせていただきますーv

2008/07.